STAFF BLOG
7.192016
我慢は美徳?・・・じゃない!と主張してみました。
スタッフ舞田です。
つい先日、父と久しぶりに口論になったんです。ま、ご多分に漏れず些細なことなんですけどね。
私が父に「こうして欲しい」的なことを言ったら、本当は他にしたいことがあったのに「我慢させられた」っていう気持ちになったらしくて。
「いやいや、我慢しやんくていいよ。自分はこうしたいって言ってくれたらいいやん。(←そのまま関西弁ですいません。)」って伝えたのですが、彼いわく「みんなが我慢せずに自分の主張をし出したら、共同生活が成り立たなくなる。(←実際は関西弁ですが標準語に翻訳してみました。)」って言うんですよね。
彼の主張も確かに頷ける部分もあるんです。
みんなが我慢することによって、波風立たせず衝突を避けることができるので、表面上は問題なく日常を過ごすことができるでしょう。
空気を読むことが良しとされやすい日本の風潮もあるので、我慢や忍耐は美徳と言われることも少なくありません。
でもやっぱり「ただ我慢する」っていう解決策は、結果として人間関係を悪化させ、組織(ここでは、家族という共同体)にとっていい結果を生まないと、私は思うんですよね。
我慢して飲み込んだ想いは、お腹の奥深くに閉じ込めたつもりでも、知らないうちにフツフツと発酵して、いつかどこかで突然、失望や不信や怒りとなって表面化することになりかねません。
本当はこうしたかったのに、本当はこう思っていたのに・・・どうせわかってもらえない、自分の考えは尊重されない、そんな拗ねた気持ちになってしまったら、その組織(共同体)に貢献しよう、自分の力を発揮しよう、そんな気持ちにはなれなくなると思いませんか?
仕事柄、いろんな組織に伺ってお話を聞く機会があるのですが、言いたいことや個人としての考えをそのまま率直に言えない不文律があると思しき組織は、総じて従業員の皆さんのモチベーションが低く、些細な調整ごとに時間がかかる(コミュニケーションに時間がかかる&誰も責任を取りたくないから決めるのに時間がかかる)という印象が・・・。
人とは違う考えであったとしても、それが些細な違和感であったとしても、取るに足らないようなアイディアだったとしても、ひとつの意見として個を発揮できること。
それに対して「なるほどそう思っているんだね」っていうことを互いに認め合えたら、組織はもっとイキイキできるんじゃないかな、そんなことを思っています。
もちろん、全ての意見を採用するのは難しいことですが、まずは発言する機会を奪わないこと、そして発言する勇気を出すこと。
組織のモチベーションを高めるためには、実はそんな日々のちょっとした我慢をやめて、気軽に発言する場を作ることから実現できるのではないでしょうか。
というような想いを、だいぶ端折って(笑)父に伝えたのですが・・・伝わったのか・・・どうかな。