「変わりたいけれど、最初の一歩が踏み出せない」 「目標を立てたものの、三日坊主で終わってしまう」「研修をやったけど効果が出ない」
人材開発の現場に携わっていると、こうした個人の葛藤に日々直面します。多くの人はこれを意志の弱さや多忙な業務のせいにしてしまいますが、実はそうではないことの方が多いのです。行動変容を阻んでいるのは、個人の資質の問題ではなく、「仕組み」と「環境」の問題かもしれません。
私は現在、ある企業様で、キャリア自律と行動変容を促す半年間の研修プログラムを提供しています。そこで今、非常に興味深い現象が起きています。参加者たちが、互いの「試行錯誤する姿」を見ることで、少しずつ、しかし着実に行動を変え始めているのです。
人が変わるために必要なのは、孤独な努力だけではありません。周囲の姿から「自分にもできるかもしれない」という確信を得るプロセス、すなわち「代理体験」が、行動変容の重要なエンジンとなります。
本稿では、心理的資本(HERO)の観点と、現在進行形の研修現場で見えている変化を交えながら、職場における代理体験の重要性と、その取り入れ方について考えてみたいと思います。
目次
なぜ「あいつができるなら俺も」が重要なのか?
人が行動を起こす際、そのエンジンの役割を果たすのが「自己効力感(Efficacy)」と呼ばれる自信です。「自分にはその行動を遂行できる能力がある」という認知があって初めて、人は重い腰を上げることができます。
この自己効力感を高める方法は主に4つあると言われていますが、最も強力なのは自分自身の「達成体験」です。しかし、新しいことに挑戦する際や、自信を失っている状態では、手元に成功体験がありません。
そこで極めて重要になるのが、「代理体験」です。
代理体験とは、他者の成功や行動を観察することで、「あの人にできるなら、自分にもできるはずだ」という感覚を得る心理的プロセスを指します。
わかりやすい例として、2023年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)でのエピソードが挙げられます。大谷翔平選手の活躍を見たチームメイトのヌートバー選手は、「同じ環境で育ったショウヘイがやれるなら、私たちもやれる」という自信を得たと語っています。一人のパフォーマンスがチーム全体に「俺たちもできる」という代理体験をもたらし、それが世界一への原動力となりました。(2026年大会も楽しみですね!)
ビジネスの現場でも同じことが言えます。自分一人で壁に向き合っているときは「無理だ」と思えても、隣の同僚が泥臭く試行錯誤している姿や、小さな一歩を踏み出している様子を見ることで、脳内に「自分にもできるイメージ」が湧き、行動へのハードルが下がることがあるのです。
研修現場で見え始めた「相互作用」の兆し
私が現在担当している研修プログラムは、ポテンシャルを秘めながらも、何らかの理由でパフォーマンスが十分に発揮できていない従業員の方々を対象としています。彼らに必要なのは、単なるスキル習得ではなく、自ら考え、行動を起こすための「マインドセットの再起動」でした。
このプログラムでは、「心理的資本(HERO)」と呼ばれる「前向きな行動の原動力」を高めることを主眼に置いています。
- Hope(意志と経路の力): 目標達成への道のりを描く力
- Efficacy(自信と信頼の力): 行動を起こす自信
- Resilience(乗り越える力): 逆境から立ち直る力
- Optimism(柔軟な楽観力): 前向きに捉える力
研修では、まず自分自身の「ありたい姿(Will)」を見つけ出し、そこに向かうための具体的な行動計画(Way)を描きます。しかし、計画を立てるだけでは行動は定着しません。そこで導入したのが、ITツールを活用した「ふりかえりの促進」「プロセスの可視化」です。
参加者は、専用のプラットフォーム上で、月次で前月のふりかえりと今月の目標を参加者が見える場所に書き込みます。ふりかえりや目標設定は心理的資本を開発する対話を実装したAIと対話するなかで行います。
「前月はスキルアップのための学習時間を確保できた」
「今月は異動先で初めて会議を主催する」
「前月はメンバーとのコミュニケーション機会の確保するために毎日15分のショートミーティングを行った」
こうした投稿に対し、事務局や他の参加者が「スタンプ」や「コメント」で反応します。それぞれの参加者の努力が可視化され、互いに「みんなも葛藤がありながらも、地道な努力を続けているんだ」という実感を共有するのです。
プログラムはまだ途中段階ですが、参加者の間には静かな変化が生まれ始めています。 当初は「自信がない」「忙しくて時間がない」と口にしていた参加者が、他者の投稿(代理体験)を目にすることで、「あの人がやっているなら、自分もやってみよう」と行動を起こすケースが見られるようになりました。
「プロセス共有」が学習機会をn倍にするメカニズム
ここからは、研修設計やチームビルディングに関わる方にもぜひ知っていただきたいポイントです。なぜ、代理体験を効果的に機能させるために「プロセスの共有」が不可欠なのでしょうか。結果だけを共有する場合を1とした時に、結果に至るプロセスを共有すれば1×n倍の機会が生まれます。
通常、職場での共有事項は「契約が取れた」「プロジェクトが完了した」といった「最終結果」に偏りがちです。しかし、自信を失いかけている人にとって、他人の輝かしい結果は時に「あの人は特別だから」という劣等感を招き、逆効果になることさえあります。
一方で、今回の研修のように「行動目標を立てた」「やってみたけどうまくいかなかった」「でも次はこうしてみる」といった試行錯誤のプロセスが共有されると、学習効果は劇的に高まります。これを「ピア・ラーニング(仲間同士の学び合い)」と言います。

特に効果的なのは、自分と境遇や課題が似ている「類似モデル」からの学びです。 「雲の上の存在」である経営者やトップパフォーマーの成功譚よりも、「自分と同じように悩んでいる同僚」が小さな一歩を踏み出す姿の方が、「それなら自分にもできる(Efficacy)」という確信を生みやすいのです。研修参加者は類似の属性であることが多いので、この点は設計されやすいですね。
また、ツール上で飛び交う前向きなメッセージは、単なる馴れ合いではありません。心理学でいう「社会的説得」の効果も果たしています。「あなたならできる」「見ているよ」というメッセージが、自己効力感を下支えし、行動の継続を後押ししているのです。
研修や組織開発を設計する際は、単に個人のスキルアップを目指すだけでなく、互いのプロセスを可視化し、刺激し合える「場」を意図的にデザインすることが、成果を最大化する鍵となります。
職場に「代理体験」を取り入れるためのヒント

では、こうした代理体験のパワーを、通常の職場マネジメントにどう取り入れればよいでしょうか。
① 「結果」だけでなく「プロセス」を可視化・共有する
リーダーは、部下の成果報告だけでなく、「そこに至るまでにどのような工夫をしたか」「どんな壁にぶつかり、どう乗り越えたか」というストーリーを引き出し、チームで共有してください。 成功体験だけでなく、失敗体験やそこからの学びも貴重な教材です。情報を隠さずオープンに共有することを称賛する文化を作ることで、メンバーは他者の経験を自分のものとして取り込むことができます。
② 「類似モデル」をつなぎ、ピア・ラーニングを促す
直属の上司や先輩だけでなく、「同じような課題を持つ同僚」や「少しだけ先を行く先輩」との接点を作ることも有効です。 実践的な課題であればあるほど、身近な存在からの学びが効果を発揮します。チーム内でペアを作って互いの進捗を共有させたり、共通の目標を持つメンバーでグループワークを行ったりすることで、互いに「モデリング(お手本として観察すること)」し合う関係性が生まれます。
③ 「モデリング」を支援する問いかけを行う
単に「あの人を見習え」と言うだけでは、代理体験は起こりません。「あの人は特別だ」と諦めてしまうことを防ぐために、適切な介入(ガイディング)が必要です。 「あの人の行動の中で、自分にも真似できそうなポイントはどこだろう?」「自分用にアレンジするとしたらどうなる?」といった問いかけを行い、他者の行動を自分のリソースとして取り込めるようサポートしてください。
④ ポジティブな共有の場(チアアップ)を設ける
週に一度、業務の進捗報告とは別に、「今週ちょっと頑張ったこと」「嬉しかったこと」「誰かに喜ばれたこと」をポジティブに共有する時間を設けるのも有効です。 Be&Do社内で実践されている「チアアップミーティング」のように、互いの存在や行動を認め合う時間を意図的に作ることで、チーム全体の心理的資本が高まります。「評価のためのアピール」ではなく、「互いに刺激し合うためのシェア」という場をルーティン化することで、自然と代理体験が生まれる土壌が育ちます。
私たちは、周囲の頑張りに支えられて前に進む
個人の行動変容というと、どうしても本人の「やる気」や「能力」に目が行きがちです。しかし、今回の研修事例や心理的資本の理論が示唆しているのは、人は適切な環境と仕組みがあれば、周囲の影響を受けて自ら動き出せるという事実です。
「あの人が頑張っているから、私もあと一歩だけ進んでみよう」
そう思える瞬間が、職場にいくつあるでしょうか。 代理体験とは、単なる「真似」ではありません。他者の存在を通じて、自分の可能性を再発見し、行動に移すためのエネルギーに変える、人間ならではの高度な学習機能です。
組織力を高める近道は、個人のスキルアップだけでなく、互いのプロセスを可視化し、刺激し合える「代理体験が日常的に存在する環境」を作ることにあるのかもしれません。
あなたの職場でも、まずは「隠れた努力」や「小さな試行錯誤」を共有することから始めてみませんか? その小さな共有が、誰かの変わる勇気に火をつけるきっかけになるはずです。
心理的資本を高める手法について学ぶ
2022.09.02
PsyCap Master®(サイキャップマスター/心理的資本開発指導士)認定講座とは、㈱Be&Doのクライアント支援の実績と知見に実績に基づき体系化された心理的資本開発手法(ガイディング)を習得し、人と組織の成長支援を行う指導士となることができる10週間のオンラインプログラムです。 ...