11月4日に富山で開催される「健康経営のレベルアップのためのシンポジウム」で、私が「人的資本経営」についてお話しをします。人的資本経営とは人材を無形資産として捉え、コストではなく投資することで価値を最大限高め、企業価値の向上を目指すことにあります。
そうであれば、知識教育だけでなく、意欲や自信の開発も人的資本経営において重要な投資になるはずです。心の豊かさの開発は心理的資本で捉えると可能です。人的資本経営における心理的資本についてまとめてみました。
目次
人的資本経営の潮流:「資源」から「資本」へ
近年、企業経営において「人的資本経営」という概念が急速に重要性を増しています。これは、人材を単なる消費される「資源」(Human Resource)としてではなく、投資をすればリターンが期待できる「資本」(Human Capital)として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値の向上が実現するという考え方に基づいています。
この潮流の背景には、グローバルな投資環境の変化があります。特に、ESG投資(環境・社会・ガバナンス)の拡大の中で、人的資本は「社会(Social)」の重要な要素として位置づけられています 。投資家は、企業が従業員の能力開発や働きやすい環境整備にどれだけ戦略的に投資しているかを、持続可能性を評価する材料として重視し始めたのです 。また、ISO30414などの人的資本に関する情報開示の国際基準が設けられ、企業に対する情報開示の要求も加速しています 。
つまり、人への投資は、もはや単なるコストではなく、企業の競争優位性を生み出し、持続的な成長を支えるための戦略的な「資本投下」なのです 。
このようなマクロ的な背景でなくとも、人が育つ組織は従業員がイキイキと前向きに挑戦し、高いパフォーマンスが発揮できることを私たちは知っています。このような組織人材を作っていくことが人的資本経営のめざすところです。
経営学における「3つの資本」と心理的資本の位置づけ
経営学において、人が持つ資本は3つの側面から捉えられています 。
人的資本(Human Capital):知識、スキル、経験など、個人の能力そのもの。
社会関係資本(Social Capital):社内外の人のつながりやネットワーク。
心理的資本(Psychological Capital):前向きな行動の原動力。
これまで、人材開発は主に「知識・スキル」(人的資本=人材1.0)の獲得や、「ネットワーク」(社会関係資本=人材2.0)の構築に焦点が当てられてきました 。
しかし、どんなに優れた知識やスキルを持っていても、それを発揮し、変化の時代を乗り越えていくための「意欲」や「心の強さ」がなければ、真の資本価値を生み出すことはできません。ここに、人材3.0とも呼べる「心理的資本」の重要性があります 。心理的資本は、他の2つの資本を動かすための「動力源」の役割を果たし、従業員が困難に直面したときでも、前向きな行動を続けることを可能にします 。

心理的資本を構成する4つの要素「HERO」
心理的資本(PsyCap)は、単一の概念ではなく、測定可能かつ開発・強化可能な4つの要素で構成されています。その頭文字をとって「HERO」と呼ばれています。
| 要素 | 意味と能力 |
| Hope(ホープ) |
意志と経路の力:目標達成の方法を思い描き、行動を継続できる能力 |
| Efficacy(エフィカシー) |
自信と信頼の力:自分ならできると信じ、行動を起こすことができる自信(自己効力感) |
| Resilience(レジリエンス) | 乗り越える力:逆境や困難に直面しても、それを乗り越えて成長できる能力 |
| Optimism(オプティミズム) | 柔軟な楽観力:現実を肯定的に捉え、失敗を一時的・特定的なものとしてしなやかに解釈できる能力 |
この4つの要素「HERO」は、生まれ持った性質ではなく、組織的な働きかけや個人のトレーニングによって開発・強化が可能である点が最大のポイントです 。
心理的資本が業績とウェルビーイングにもたらす具体的効果
心理的資本の充実が、企業の持続的な成長に直結する理由は、従業員の「態度」と「行動」に強い影響を与えるためです。
厚生労働省の労働経済白書(令和元年版)でも、心理的資本が「働きがい(ワーク・エンゲージメント)」を促進するための要因となる個人資源であると示されています 。心理的資本が高い従業員は、仕事への熱意や活力を持ち、組織に対してより積極的に貢献します。
具体的な研究結果として、心理的資本は従業員の様々な態度や行動と強い相関関係を持つことが示されています 。
望ましい態度・行動との正の相関
心理的資本が高いほど、以下のポジティブな結果につながります 。
- 満足度・コミットメント:仕事や組織への満足度、およびコミットメントが高まります。
- ウェルビーイング:イキイキとした幸福感(心理的ウェルビーイング)が高まります。
- 組織市民行動:主体的な役割外の働きかけや、協働行動が増加します。
- 生産性・業績:個人の生産性や業績が向上します。
望ましくない態度・行動との負の相関
一方で、心理的資本が高いほど、以下のネガティブな結果を抑制します 。
- 離職意向:会社を辞めたいという意向が減少します。
- ストレス・不安:仕事上のストレスや不安が軽減されます。
- ネガティブな逸脱行動:コンプライアンス違反やルール違反といった問題行動が減少します。
- 変化への抵抗:変化に対する皮肉や冷笑的な態度が和らぎます。
このように、心理的資本は、従業員の内発的動機付け、精神的な健康、そして企業へのエンゲージメントを包括的に高めることで、企業のパフォーマンス全体を底上げする「基盤」として機能するのです。

心理的資本を高める具体的なアプローチの例
心理的資本は、日々のマネジメントや、自らのコントロールで開発可能です。少し例をご紹介しましょう。
・Efficacy(自信)の強化:小さな成功体験を意図的に積み重ねる機会を設定し、達成体験を得ることが重要です。その成果を上司や仲間によってポジティブなフィードバックを得ることがEfficacyを高めます。
・Hope(目標設定力)の強化:1on1ミーティングなどを通じて、個人のキャリアビジョン(Will)と具体的な業務目標の「経路(way)」を明確に結びつける対話を行います 。
・Resilience(乗り越える力)の強化:リスクに対して、自分の資産を活かして挑戦することができるか、など客観的に捉えることで不安を解消し、意欲に変えます
・Optimism(柔軟な楽観力)の強化:失敗を個人の問題とせず、成長のための「学習機会」として捉え直す組織文化を醸成します
人的資本経営の実現は、単にスキル研修を行うことや福利厚生を充実させることだけではありません。従業員一人ひとりの「心の資本」を可視化し、意図的に開発・強化する施策を、経営戦略として組み込むことが不可欠です。
まとめ:「内なるHEROを高めよう」というメッセージ
人的資本経営の本質は、「人という資本」を最大化し、企業成長と社会の発展に寄与することにあります 。その実現のためには、知識やスキルといったハード面だけでなく、それを動かす「前向きな心のエネルギー」こそが重要です 。
心理的資本を高めることは、ウェルビーイングとワーク・エンゲージメントを高め、結果として従業員の高いパフォーマンスと定着率を実現します
企業が従業員に対し、「心の資本」を高める環境を提供することは、必ずや中長期的な企業価値向上というリターンとなって返ってくるでしょう 。
「内なるHEROを高めよう !」のメッセージこそ、人的資本経営の成功の鍵を握る、従業員と組織への力強いエールとなるはずです。