今、その会社にいる理由は何だろうか。その仕事をしている目的は何のためだろうか。自分は何をしたいと思ってそこにいるのだろうか。この手の話は、あまり深く考えるとドツボにはまってしまう。考えすぎて自分を見失っては元も子もない。もっと素直な気持ちに立ち返ってみると良いのではないだろうか。
今回、まったく違う分野の例え話から、このことを考えてみたいと思う。私の思い出のゲームソフトに「ドラゴンクエストⅣ」がある。副題はこうだ。「導かれし者たち」である。小学生時代に初めて買ってもらった懐かしのファミコンソフトだけに、印象深く胸に刻まれている。今回、この物語を題材に使いながら、その会社やそのプロジェクトで働いている意味を考えたい。
目次
ひとりひとりの旅の目的は異なる上に変化するものだ
簡単に前提を共有すると、ドラゴンクエストⅣは有名なドラクエシリーズの4作目。ファミコンでリリースされ、その後はプレイステーションや、NintendoDS、iOS/Androidアプリでリメイクされている。いわゆる冒険物のロールプレイングゲームで、当時としては画期的な主人公であるプレイヤー(勇者)以外の仲間それぞれの物語を紡ぐオムニバスストーリーと、仲間が「さくせん」に従ってAIで協力して戦ってくれるというシステムが注目を集めたものだ。
8人+αの仲間で、最終的には魔王を倒し世界を平和にする物語。とはいえ、その魔王にもそうなってしまった理由があり、勧善懲悪ではない切ない展開もあり、子ども心に衝撃を得たものだ。
話を戻す。
ひとりひとりの仲間たちにも、それぞれの”旅の目的”があって、最初から大いなる目的を果たすためにそこにいるわけではないのだ。行動した結果として、新たな目的に意味を見出すということ。また、道の途中でサポートしてくれる存在も、それぞれの目的や役割を果たそうとした結果、誰かの助けになっているのだ。
キャリアを考える時によく目にする「Will(志・意志・目的の意)」という言葉。Willを軸に物語をふりかえってみると、よくわかる。
というわけで、物語を紐解いてみよう。
王宮の戦士たち
1章は「王宮の戦士たち」という物語。戦士ライアンが主人公となり、村の子どもたちの行方不明事件を追う中で、世界の異変に気づき、まだ幼い子どもであろう勇者を探す旅に出るところまでのお話だ。
もともとライアンは、いわゆる王宮勤めの戦士。要はいっぱしの公務員のような存在。最初は王様からの命令に従って、使命を果たすことが彼のWillだったわけだ。王様や大臣からの命令であり、その他大勢の同僚の戦士たちと同じように事件解決のために動き出したのだ。
事件解決のために調査を進める中で、様々なウワサや、不思議な話を耳にする。事件を首謀する魔物たちから、魔王復活の話を聞いたことで、事件解決後に王様に直訴して勇者を探す旅に出ることになる。この時点でWillは変化している。
余談ですが、旅の途中で運がよければ仲間になる”人間になりたい”というWillを持つモンスターのホイミンとも出会う。仲間にしていれば「ホイミンを人間にする方法を探す」というWillもライアンには加わったのかもしれない。
おてんば姫の冒険
2章は「おてんば姫の冒険」という物語。とある国の王女であるアリーナ姫が主人公。教育係の爺やであるブライと、幼馴染の神官のクリフトがお供となり、国内をめぐって腕試しの冒険をするお話だ。
お城から出て腕試しに出かけたいアリーナ。そう、彼女のWillは「強い人と戦って腕試しをしたい」といったところ。お城の自室の壁を蹴破り脱出するところから話が始まるてんやわんやな展開。お供のブライはもはや「お目付としてしょうがないからついていく」という状態だし、クリフトにいたっては「姫様と一緒にいたい」という理由だけかもしれない説。そう、それぞれに魔王を倒すなんて壮大なWillは全く持ち合わせていない。
ここで詳細は書かないが、旅をする中で、武術大会に出場するも圧倒的な強さを誇る「デスピサロ」という名の出場者の存在や、彼女たちも自国で起こる奇妙な現象を目の当たりにし、その謎を解明するべくやはり旅を続けることになる。
この時点で「自国の異変の謎を解き国民の安否を確認する」というWillがアリーナ、クリフト、ブライの3人共に宿ったと言えるわけだ。
武器屋トルネコ
3章は「武器屋トルネコ」という物語。そのまんまですが、世界一の武器商人を志すトルネコが主人公で、お店をつくることを目指すお話だ。
トルネコは「世界一の武器屋になる」というWillを持っている。世界一栄えている国で武器屋を開くことが、その時点で見えている大きなWillと言える。けれど実態は、小さな田舎町で師匠のお店でアルバイトしながら、妻と幼い子どもを養ういわば夢を持つフリーターだ。
そんな彼もちょっとした人助けをするうちに、商人としての才能に目覚めてゆく。世界一栄えている国でお店を持つことができるようになる。いや、実は妻のネネの商才と商魂が豊かであることは後々に分かってくることなのだが、彼女の励ましもあって彼は「世界一の武器を探す」ことを目指し、新たな旅に出ることになる。その「世界一の武器」というのは、物語のカギを握るものになるわけだ。
トルネコのWillは最初から変わっていない。「世界一の武器屋になる」ことだ。ただその実現の方法(Way)は、お金を貯めて世界一の武器屋になることから、世界一の武器を手に入れることに変化したのだ。
ここでも余談だが、このお話の途中では、傭兵のスコットと、旅の吟遊詩人のロレンスを用心棒として雇うことができる。彼らは契約料を通じた用心棒という関係に過ぎないが、戦いは得意ではないトルネコの助けに大いになる存在。スコットやロレンスは自分の腕を活かしてお金を稼ぎたいのだ。彼らは彼らなりのWillにもとづき、知らぬうちに誰かのWillの実現をサポートすることになる。
モンバーバラの姉妹
4章は「モンバーバラの姉妹」という、踊り子の姉のマーニャと、占い師の妹のミネアの2人が主人公の物語。章のタイトルにもなっているモンバーバラという街の劇場で踊り子と占い師をしながら、父親であるエドガンの仇を探しながら過ごしているという序盤からハードモードな展開だ。
マーニャとミネアのWillは「父親の仇を討つ」こと。姉妹の父親エドガンは錬金術を研究していたところ、ある発見をしてしまい、そこから弟子に裏切られて命を落とすことになるのだが。父親がどんな研究をしていたのかを辿る中で、もう一人の弟子だったオーリンと再会し、共に仇を討つために旅を続けることになる。
仇の存在を追って、あるお城に潜入することになるのだが…。最後は大きな黒幕や闇の存在を知ることになる。彼女たちの仇討ちの旅は続くことになるのだが、もう一つのWillとして「闇を打ち払うことができる勇者を探す」が加わるわけです。
ちなみにオーリンは、最後まで自己犠牲を伴いながら、姉妹を助けるのですが、ここには「お世話になった師匠の娘さんたちを助けたい」というWillがあったように思う。
大いなる目的や使命のもとに導かれ集まる仲間
ここまで触れたように「導かれし者たち」となるそれぞれの仲間たちは、もともと全く異なる目的で最初の一歩を踏み出している。その進む道の中で、新たなWillに気づき、目的地を変えているのだ。
では主人公である「勇者」はどうか。
導かれし者たち
5章は「導かれし者たち」で、つまり主人公である勇者が登場する本編にあたる。勇者は山奥の閉ざされた村で、その時が来るまで何かから守られるかのように青年になるまで育てられている。そこには大切に育ててくれる”育ての親”や、剣術を教えてくれる師匠や、呪文を教えてくれる師匠、そして幼馴染のシンシアという存在がいて、勇者となる存在を守り育てるというWillが村人たち全員にあったようだ。平和な日々は続かず、悲しい出来事が起こる。壮絶な旅の始まりを迎えるわけだが、ここでは詳しく触れないでおこう!
「ひとりぼっちになった」「育ての親や友達を失った悲しみ」というダブルパンチ。ただ「お前を勇者にするために育てられた」というような間接的な情報から「自分は勇者なのかもしれない」という認識状態からのスタート。かなりまだまだボンヤリしている。ただ言えることは、もしかすると「復讐」が最初のWillだったかもしれない。
孤独に旅を始める勇者だったが、その冒険の旅路の中で、様々な人と出会いながら、自分の使命にも気づかされ、想いを強くしていくのだ。試練を乗り越えながら、仲間がまた一人、また一人と増えていくのだ。これまで触れてきた「導かれし者たち」と勇者を含めて8人が物語の主人公たちというわけだ。
最初は占い師のミネアが仲間になるが、その時は姉のマーニャがカジノですってばかりで、お金がなくて路銀を稼ぐために道端で占い業をしているという状態。姉のマーニャはもちろんカジノにいる。父親の仇は!勇者を探すのはどうした!という感じだが、そんな簡単に旅がうまくいくはずもない。寄道は誰だってする。仕方がない。
その後、砂漠をわたるために必要な馬車を手に入れる必要があったが、馬車を所有するホフマンは極度の人間不信に陥っているため、彼の心をもとにもどすために「信じる心」という宝石を探しに行くのだが。その後、一時的にホフマンも旅を共にすることになるが、彼の馬車と馬のパトリシアがいなければ、冒険が立ち行かなくなるところだったわけだ。
立ち寄ったある港町では灯台に邪悪な炎が宿ってしまい、船が沈没してしまう事件が頻発していた。その灯台に果敢にも向かった武器商人がいた…。そう、トルネコだ。彼は彼なりに「世界一の武器を探す旅を続ける」ために船旅がどうしても必要で、問題解決に向かったわけだが、もはや勇者たちにとっては救出作戦。そんなこんなでまたひとり仲間が集う。
その後に立ち寄ったある貧しい国では、病床に倒れてベッドでうなっているクリフトと、看病するブライと遭遇。ではアリーナ姫はいずこへ。クリフトを救うことができるとされる薬草の根を探しに出かけているらしい。アリーナを探しに、そしてクリフトを救うために薬草の根を探しにいくことになる。そして問題解決後には3人が仲間になるわけだ。
そしてすれ違いにすれ違いを続け、ある場所でようやく最後の導かれし者であるライアンと出会うことができるわけだ。彼は愚直に勇者を探す旅を続けているにも関わらず、間が悪くやたらとすれ違うライアン。とはいえ、これで8人がそろうわけだ。
このように勇者は、出会う人、仲間になる人たちとのかかわりの中で、少しずつ自分の使命を認識していくのだ。世界を救うことになる勇者自身も、割と「成り行き」で行動をしながらWillを見つけていっているように思うのだ。
導かれし者たちを支え導く存在
馬車を譲ってくれ、しばらく旅を共にしたホフマンをはじめ、5章の中でも様々な助っ人が登場する。
お笑い芸人のパノン、天空人のルーシア、ドラゴンの子どものドランなどが旅の途中で一時的に仲間になる。
パノンは、人を笑わせる旅芸人。ある国の王様を笑わせるというミッションに欠かせない存在。彼は人々を笑顔にすることを目的に旅をしているわけだが「本当の意味で世界の人に笑顔を取り戻す」ために勇者一行に協力するのだ。
ルーシアはいわば翼の生えた天空人、天使のような存在なわけだけれども。怪我をして動けなくなっているところを助けられ、物語のカギを握る天空城に勇者一行を導くきっかけとなる。ルーシアは、ドラゴンの子どものお世話係なのだが、ドラゴンたちがわんぱくすぎることから治療薬をとりに地上に降りてきたところをモンスターに襲われたのだ。ルーシア自身には、大きな目的や旅をする目的もあまり無いのだが、ドラゴンの子どものお世話という役割を全うしようとする中で、勇者一行と出会い、結果として彼らの目的を果たすための助けになっているのだ。
ドランはルーシアが面倒を見るドラゴンの子どものうちの一頭。ルーシアが勇者一行に「よかったら連れてって」くらいの感じで仲間にすることができる。そもそも人ではない(どちらかというとモンスター寄り)ので、彼?の旅の目的も何も…という感じだが、その後勇者一行「導かれし者たち」だけで厳しい戦いを続けていくのは、なかなかに大変。だから戦力になっていることは間違いない。(全く命令も聞かないとか、自由に行動しちゃうけど)
ちなみに、リメイク版では裏主人公とも言うべき?ファミコン版ではラストボスだったデスピサロも、実は悲しい運命を背負った人物として描かれ、その後の物語がつながっている。魔族ピサロのWillは当初は恋人であるエルフ族のロザリーと静かに暮らすことなったのかもしれない。ある事件をきっかけに、人間を恨み滅ぼすことがWillに変化して魔王となるのだが。その裏には大きな黒幕があったという話。ピサロの視点でこの物語全体を捉えた時は、人間についてとても考えさせられる話だ。人間の弱さに気づかされるというかなんというか。
改めて物語として良く作られていたなと感慨深い。
Willが紡がれ、行動がつながり、導かれてそこにいる
さて、話を現実に引き戻す。会社での仕事や、キャリアの話。そこで思うのは、必要以上にWillを持たなければならないと思い過ぎていないだろうか、ということだ。
仕事では自分の役割を全うしようとすることだってWillになり得るのではないか。そのために行動して成し遂げることが、結果として別の誰かのWillを助けることもある。組織のパーパスだとかミッションにも、間接的につながっていて、それが社会の課題を解決したりする。
そんな風に行動を続けた結果、自分が何を成し遂げたいと思っているか気づいたり、どんな時に嬉しいと思うか気づいたり、自分が本当にやりたいと思うことを見つけたりすることだって大いにある。
あなたのWillは何ですか?と問われたところで、即答できる人なんて一握りだと思う。特に今、世の中では人材不足と言われ、あちこちの会社が採用活動を活発に行っている。そして同時に「エンゲージメント」という名の、ある種の心理的契約を求められているようにも思う。会社の理念に共感しなければならない!と。
“ワーク・エンゲージメント”というのは、仕事への熱意や没頭度合い、そして活力そのものを指すのだが、これは結果として生まれるものであって、ワーク・エンゲージメントを高めることを目的にしてはいけないように思う。定義が微妙に異なる「従業員エンゲージメント」も、会社への忠誠心や満足度やコミットメントや様々な意味合いが含まれているが、これも”結果として”エンゲージメントが高まることを目指すことが大切に思う。
そりゃ会社やプロジェクトの目的や使命に共感するにこしたことはない。でもそれだけじゃなくてもいい。そんな風に私は思う。
私たちが提供しているCG1の中でも、受講者からそうした不安を抱えていたという声を聞くことがある。ひとりひとりがそれぞれのライフ&キャリアの中で主人公であるはず。いつの間にか、自分らしさや、その組織にいる意味を見失う人もいるだろう。
それぞれの目的はどこかでつながっているし、行動する中で変化もする。そこにいるのは様々な機会や決断の結果、導かれている。だから自信を持ってほしいし、そんな自信を持てるような行動とふりかえりを後押するようなガイド方法を広めていきたいと思うし、サービスにしていきたいと改めて思う。
そんなわけで、あなた自身も主人公であり、今、一緒に何か取り組んでいる仲間は、あなたにとっての「導かれし者たち」なのかも!