「この提案書、もう少し顧客視点に立てなかったのかな…」 「この設計、基本的なセオリーが押さえられていないな…」
コンサルタントが同業のコンサルタントの仕事ぶりを評価するとき。プロの料理人が、他のレストランの味にコメントするとき。あるいは、経験豊富なデザイナーが、別のデザイナーの制作物を見たとき。自分が深く知る専門分野において、他者、特に「同業者」に対して、厳しい目を向けてしまったという経験はないでしょうか?
傍から見れば十分に質の高い仕事であっても、その道のプロは、一般人には見えない細かな改善点を見つけ出し、辛口な評価を下しがち。しかし、これは単なる性格の悪さや、意地の悪い「マウンティング」ではなさそうなんです。
実は、この現象の裏には、人間の認知や心理に根差した、深く興味深いメカニズムが隠されているようです。そしてこのメカニズムは、専門家同士の関係だけでなく、組織における「上司と部下」という、最も重要な人間関係においても、コミュニケーションのすれ違いや成長の阻害要因として、日々じわじわと作用しているのではないでしょうか・・・。
目次
第1部:専門性の罠 ― なぜプロは同業者に厳しいのか
私たちが同業者に厳しい目を向けてしまう背景には、主に4つの心理的な要因が複雑に絡み合っています。
1. 知識の呪い(The Curse of Knowledge)
この現象を説明する上で、最も強力な概念が「知識の呪い」です。これは、一度何かを知ってしまうと、それを知らない人がどのような視点を持っているかを想像できなくなるという認知バイアスの一種です。専門家は、長年の経験と学習を通じて、その分野における膨大な知識と暗黙知を蓄積しています。彼らにとって、それはもはや呼吸をするのと同じくらい「当たり前」のものです。
例えば、ベテランのプログラマーは、若手の書いたコードを見るだけで、非効率な処理や将来的なリスクを一瞬で見抜きます。しかし、彼らはなぜそれが非効率なのかを、若手が「分からない」という事実を、本当の意味で理解することが難しいのです。「こんな初歩的なこと、なぜ分からないんだ?」と感じてしまうのは、まさに知識の呪いにかかっている証拠です。
その結果、悪意なく発した「常識でしょ?」という一言が、相手の心を深く傷つけ、学ぶ意欲を削いでしまうことがあります。
2. 専門家としてのプライドとアイデンティティ
多くの専門家にとって、その専門性は単なる仕事のスキルではなく、自己のアイデンティティ、すなわち「自分は何者か」という自己認識そのものと強く結びついています。自分の存在価値が、その専門分野の価値と分かちがたく連携しているのです。
そのため、同業者の質の低い仕事は、単に「一個人の失敗」として片付けられません。それは、自分が所属する専門家集団全体の評価を貶め、ひいては自分自身の価値が傷つけられるかのような感覚すら持っているかもしれません。これは、その分野への深い愛情とプライドの裏返しであり、全体の質を維持しようとする、ある種の防衛本能とも言えるでしょう。
3. 「内集団バイアス」と「競争心」
心理学には、自分が所属する集団(内集団)のメンバーを、外部の人間(外集団)よりも肯定的に評価しやすい「内集団バイアス」という心理傾向があります。これを素直に受け取れば、同業者には甘くなりそうなものですが、現実はより複雑です。
専門家集団において、同業者は「仲間」であると同時に、同じ市場の顧客や評価、地位を奪い合う「ライバル」でもあります。「仲間意識」と「競争心」という、本来であれば相反する感情が同居するアンビバレントな状態が存在します。
つまり、「同じ仲間として、あの程度の仕事は許せない」という批判的な視点と、「あのライバルに負けたくない、自分の方が優れていることを示したい」という競争心が結びつき、結果として厳しい評価につながるのです。特に、自分の地位を脅かしうる優秀な同業者や、逆に、集団の評判を著しく落としかねない未熟な同業者に対して、この傾向は強く現れます。
4. 自己の「投影」
要因の一つとして「投影」が挙げられます。これは、自分自身が認めたくない欠点や不安、コンプレックスを、無意識のうちに相手の姿に映し出し、それを批判することで自己を守ろうとする防衛機制の一種です。
例えば、自分が過去に犯したのと同じようなミスを同業者がしているのを見たとき、ことさらに強く非難してしまうことがあります。それは、相手を批判することで、過去の自分の未熟さから目をそむけ、「自分はもうその段階は乗り越えたのだ」と再確認したいと無意識のうちに思うからかもしれません。また、自分が今まさに抱えている課題や不安を相手の中に見出した時も同様です。相手への批判は、形を変えた自分自身への叱咤激励や不安の裏返しである場合も少なくないのです。
第2部:上司と部下―増幅される「専門性の罠」
これまで見てきた4つの心理的要因は、専門家同士の関係にとどまりません。むしろ、役割や経験、情報量に明確な差がある「上司と部下」の関係において、その影響はさらに増幅され、深刻なコミュニケーションのすれ違いを引き起こすことになります。
上司は、かつては一人のプレイヤー、つまり専門家でした。マネージャーという役割になっても、その専門家としての視点を持ち続けています。そして、その視点に「チームの成果に対する責任」と「部下を指導する役割」という要素が加わることで、どうなるでしょうか。
増幅される「知識の呪い」
上司は部下よりも多くの経験を持ち、会社の戦略や部門の方針といった、より広い文脈を把握しています。上司にとっての「当たり前」は、部下にとっての「当たり前」とは全く異なります。この認識の欠如が、マネジメントにおける悲劇の源泉となります。
「例の件、うまくやっといて」
上司のこの一言には、「例の件」が何を指し、どのような背景があり、誰が関係者で、どのレベルの品質が求められ、期限はいつで、予算はいくらか…といった膨大な暗黙知が含まれています。
しかし、知識の呪いにかかった上司は、部下もそれを共有していると錯覚し、説明を省略します。一方、部下は断片的な情報から意図を推測するしかなく、結果として見当違いのアウトプットを出してしまい、残念そうな表情をされたり、やり直しになったりします。
この負のループは、多くの職場で日常的に見られるものです。
責任感が産む「過剰な批判」
上司は、部下の仕事の成果を含めて、チーム全体の結果に責任を負っています。部下のミスは、そのまま上司の評価に直結します。「自分のチームが、この程度の仕事しかできないと思われたくない」というプレッシャーは、専門家としてのプライドと結びつき、本来であれば部下の成長のためにあるべきフィードバックが、上司自身の不安を解消するための「批判」へと変わってしまうのです。
成功体験という名の「投影」
多くの人は、自身の成功体験を誇りに感じています。「自分が若手の頃は、こうやって仕事を覚えて成長してきた。だから、君も同じようにやるべきだ」と。これは、自分の成功プロセスを部下に「投影」している状態です。
しかし、時代も環境も、そして何より部下という個人も、かつての上司とは異なります。その人の個性や得意な学び方を無視して、自分のやり方を一方的に押し付けることは、相手の主体性を奪い、モチベーションを著しく低下させます。良かれと思ってのアドバイスは、部下の可能性の芽を摘む危険性も孕んでいるのです。
第3部:「品質の番人」から「成長の支援者」へ
では、上司はこの根深い「専門性の罠」から、どうすれば抜け出すことができるのでしょうか。
その鍵は、マネージャーの役割認識を、根本からシフトさせることにあります。
それは、「仕事の品質」と「成長のプロセス」を切り分け、自らの役割を「品質の番人」から「成長の支援者」へと再定義することです。
「What(何を)」と「How(どうやるか)」の分離
過ちは、「What(目標・品質基準)」と「How(仕事の進め方・プロセス)」を混同し、両方を自分でコントロールしようとすることです。
「品質の番人」としての役割は、もちろん重要です。チームとして目指すべきゴール、達成すべき品質基準(What)を明確に定義し、その水準が守られるよう最終的な責任を負う。これは組織人として不可欠な役割です。
しかし、問題は「How」への過剰な介入です。自分の経験則や個人的なこだわりに基づき、仕事の進め方まで細かく規定してしまう。これでは、部下は指示通りに手を動かすだけの「作業者」となり、自ら考え、工夫し、成長する機会を永遠に失ってしまいます。
真の「成長の支援者」は、「What」を明確に示した上で、「How」については可能な限り部下に裁量を与えます。目的地と最低限の交通ルールは教えつつ、どの道を選び、どんな景色を楽しみながら進むかは、本人の意思に委ねてみるのです。そして、道に迷えばヒントを与え、崖から落ちそうになれば安全ロープを差し出す。それが支援者の役割です。
成長のプロセスへの「個人的なこだわり」を捨てる
このシフトを実現するために、人は意識的に自分の「個人的なこだわり」を横に置く訓練をする必要があります。
- 多様な「正解」を認める: 自分が知っているやり方だけが唯一の正解ではないと心から理解すること。部下が自分とは違うアプローチで同じ品質のゴールにたどり着いたなら、そのプロセスを称賛する。
- 「失敗」を学びの機会と捉える: 部下のプロセスにおける小さな失敗を、学習の機会として歓迎すること。失敗を責めるのではなく、「この経験から何を学べるか?」を共に考える姿勢が、部下の挑戦する意欲と心理的安全性を育みます。
- モチベーションの源泉を探る: 人の意欲が何によって引き出されるかは、千差万別です。承認されることか、新しい知識を得ることか、裁量を持つことか、社会に貢献することか。上司は、部下との対話を通じて、その人のモチベーションの「スイッチ」がどこにあるのかを探り、それに火を灯す方法を考える必要があります。
このアプローチは、部下の主体性とオーナーシップを劇的に向上させます。
自分で考え、工夫し、ゴールにたどり着いた経験は、何物にも代えがたい成功体験となり、次のより大きな挑戦への意欲へとつながります。
そして、そうして自律的に成長した部下たちが集うチームは、上司がマイクロマネジメントで管理するチームよりも、遥かに強く、しなやかで、高い成果を上げることができるのです。
結論:成長の支援者としてのリーダーシップと、それを支えるテクノロジー
専門性の高いプレイヤーであった人物が、優れたマネージャー、すなわち「成長の支援者」になるための道は、決して平坦ではありません。それは、自分が長年かけて培ってきた成功体験や専門知識へのこだわりを、一度脇に置くという、大変な自己変革のプロセスを伴うからです。
自分の過度な「正しさ」を手放し、部下一人ひとりの可能性を信じて待つ。その姿勢こそが、リーダーシップの核となるでしょう。
幸いなことに、テクノロジーの進化は、こうした課題に対する新たな解決策を提示しています。
例えば、AIを活用した対話支援「HEROMe」は、従業員が自身のキャリアへの不安や希望について、評価を気にすることなく整理し、上司との対話に備えるための安全な「壁打ち相手」となり得ます。
こうしたツールは上司の役割を代替するのではなく、むしろ、本質的な対話の質を高めるための触媒として機能し、多忙な管理者が「成長の支援者」としての役割を全うするのを助けてくれるのです。
こういったサービスの活用も、これからの時代の選択肢の一つと言えるでしょう。
専門性の罠から抜け出し、他者の成長を心から支援できるリーダーが増えることを願っています。そして、私も含め、部下の立場からも、上司はこれらの心理的な要因を乗り越えて、マネジメントと向き合っているという事実を知っておいた方がいいかもしれません。